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  • そうだ、山形に行こう!  希少な改造貨車のダルマ駅が消えた!?

    そうだ、山形に行こう!  希少な改造貨車のダルマ駅が消えた!?

     

     

    時は2025年10月某日。JR東日本の「カラフルフルーツ旅!山形」のキャンペーン(現在は終了)を利用して、山形にでかけることにした。

     
    さて、山形のどこに行こう?と考えたとき、行く先の第一候補となったのが中川駅だ。

    神奈川にも同名の駅(横浜市営地下鉄)があるが、そちらではなくJR奥羽本線の中川駅である。駅前に有名観光地があるわけでもない、ごく普通の地方の無人駅だ。ただ私にとって特別なのは、この駅が通称「ダルマ駅」と呼ばれる、「貨車を改造した駅舎を持つ」という点だ。

    比較的多くダルマ駅が存在していた北海道をはじめ、令和の今、路線の廃止や駅舎の老朽化など複合的な事情でダルマ駅は次々と消えていっている。中川駅は、関東に住む私が日帰りで行くことができる数少ないダルマ駅の一つで、訪ねて行かねばならないとずっと心にかかっていた駅だった。

     

     

    ホームに降り立ち、早速改札に向かう。事前の下調べでは1番線ホームの中央あたりに改札→ダルマ駅舎があるはずだ。

     

     

    工事中なんだなーとのんきに考えて、そのままフェンスの周りをぐるりとまわりこんでいく。

     

     

    駅の外にでてしまった。

     

     

    駅方向に振り返る。

     

     

    この時点で、本当は気が付いたのだが、まさかという思いが現実を否定する。「ダルマ駅がない」なんて認めたくなかったのだ。
    下の画像は、2022年に撮影されたダルマ駅。鉄さびたアイボリーの貨車の出入り口に、三角屋根の風除室的な造作が施されている。

    上下の2つの画像を見比べれば、ダルマ駅がすでにここにないことは明白だ。

     

    撤去前のダルマ駅舎(2022年8月撮影)  Mister0124, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

     

    でも、本当にないのか(ないのは間違いないんだけれども)、このままでは引き下がれない。周囲を見回すと、素敵な紫色のトラックが目に入る。ちょうどお昼時なので、ダンプの所有者らしき男性が車内で休憩中だった。

     

     

     
    ぶしつけにも、運転席ガラス窓をノックし、駅の工事をされている方か?そうだとしたら、駅舎だった貨車はどうなったのか?と尋ねてみた。

    その方から伺った話によると、駅舎は昨日、撤去されたそうだ。
     

    昨日

    おもわず、「撤去された貨車はどこにあるんですか?!」と聞きそうになったが、部外者にそんなことは話せないかもしれないし、仮に教えてもらったところで、そこまで追いかけていく足も時間もない。

    工事関係の方にお礼を言って、駅に引き返す。そのうち行かなきゃと思いながら、気が付くともう間に合わなかったなんてことを、人生何度繰り返してきたんだろう。撤去跡を整備するがれきを見ながら、ためいきをつく。

     

     

    ホーム側から、もう一度、貨車がおいてあったであろう跡をみつめる。

     

     

     

    この楕円形のステップでダルマ駅舎の中に出入りしたのだろうな。

     

     

    なにか痕跡がないかと、がれきを凝視したが、なにも発見できなかった。

     

     

    JR東日本の公式サイトには、特にいつ撤去するなどのアナウンスはなかった。まあ、そこまで詳しい情報公開は必要ないもんね。

    戦いすんで日が暮れて(戦っても、日が暮れてもいないが)、この日は静かに帰途についた。

     

    3か月後・・・ 2026年1月

     

    中川駅の新駅舎が完成したらしい・・と聞き、再度様子を見てきた。

    山形県は全域が豪雪地帯に指定されている。中川駅のある南陽市も、30cm~1.5m程度の雪がふるらしいが、訪問日は晴天で、積雪もそこまでではなかった。

     

     

    ホームから見た新駅舎。コンクリート造りで、ちょっとスタイリッシュな雰囲気。
      

     

    待合室の中には椅子があり、ドアをしめれば寒さをしのげそうだ。

     

     

    3か月前、駅舎があったはずの方向を呆然と見つめていた場所から、新駅舎を見る。うまく表現できないが、なんだか感慨深い。

     

     

     

    次の画像は、2025年の10月に撮影したもので、駅に隣接した木造のトイレだ。確かな記録はないが、ダルマ駅舎が設置された昭和61年頃に、建てられたものかもしれない。もしそうなら、今年でちょうど築40年。このトイレも取り壊されると貼り紙があった。
     

     

     

    次の画像はトイレがあった付近を、2026年1月に撮影したもの。重機の置かれているあたりに、また新しいトイレができるのか、詳しいことはわからない。
      

     

     
    もう一度、駅全体を眺めてみる。冬日和な無人駅に、時間がゆっくりと流れていた。

     

     

     

    ☆関連記事はこちら

    姉妹サイト「風に吹かれて無人駅」でも、こちらのサイトに載せていない中川駅の写真などを掲載しています
    https://unmanned-station.com/096nakagawa/

  • 4本のロープの助けをかりながらのぼる日振島灯台、往復1時間の大冒険

     

    ナギヒコさんから寄稿していただいた記事です

    到達:2026年4月
    難易度:■■■□(中級)

    日振島灯台(ひぶりしまとうだい、愛媛県宇和島市)への登山道は傾斜がきつく、難易度は相当高い。スニーカーの場合はアイゼンを装着することをお勧めする。難易度高めの灯台クエストに挑戦したい人向けの灯台だ。

     

    日振島灯台があるのは四国と九州に挟まれた豊後水道。この海域の主な灯台は次のとおり。

    (国土地理院)

    このうち水ノ子島灯台の灯火はとくに強力で、光達距離は約37km。この海域のほぼ全体に光が届くのだ。

    日振島灯台は、佐田岬、関埼、水ノ子島の各灯台に比べると、重要度や知名度はやや下がるが、それでも存在感のある場所にあるのは確かだ。

    日振島へは宇和島新内港から定期船が1日4往復(高速艇が3往復、普通船が1往復)出ている。日振島には3つの寄港地があるが、灯台に近いのは能登で、宇和島からは50~60分かかる。

    通常運行であれば、次の便まで4~5時間あるので、3~4時間近くの時間を持て余してしまう。ところが今回は普通船のドック入りに伴い、別の高速艇による代船運航が行われている期間で、幸運なことに「次の便まで2時間」という効率のいい滞在ができた。ドック入りの頻度は不明だが、1年に1回だろうか。

     

    能登港に到着した。人が多いのは、翌週に予定されている桟橋補修工事のためのようだ(この工事の日だったら能登での乗り降りができなかった、いろいろ運がよかった)。

    桟橋の左手が港の奥。黄緑色の壁の家あたりにのぼり口がある。灯台は、写真右の山の向こうあたりだ。

    地図で見るとこんな感じ。海抜117mまでを水平距離400mぐらいでのぼる。とくに最初の50m(太い等高線)がきつそうだ。

    (国土地理院)

    高い擁壁が目印だ。すべり台の先を左にはいる。

    民家が終わったところに擁壁をのぼる階段がある。左端の排水溝をまたいで階段にたどり着く。

    こうやって見上げると、急だなあ。

     

    階段をのぼって柵の間を抜けるといきなり崖だ。傾斜がきついので、ロープにつかまってのぼるしかない。

    先人のみなさんのおかげで(いつもありがとうございます)、こののぼりがわかっていたので、用意したアイゼンを装着。

    1本目のロープが終わったあたりに2本目。

    あまりにロープに体重をかけていることに気づいた。万が一ロープが切れたりしたら思いっきり転落してしまう。もっと足で踏ん張らないといけない。

    のぼるのにせいいっぱいだったせいか、何を撮ろうとしたのかよくわからない。

    2本目の終わりだと思う。3本目かもしれない。道であることはわかるが、路面とほかの場所の傾きにほとんど違いがない。紀伊宮崎ノ鼻灯台を思い出す。ここもアイゼンが必要だった。

    3本目か4本目。

    これは4本目じゃないかと思う。先端何メートルかは枯草や土に埋もれていた。

    ロープは4本で終わりらしい。だがロープが終わってもこんな道が続いている。

    傾斜がきついので、手も地面につきながら進む。つかまれるものはいろいろつかむ。

     

    カーブを曲がり、ようやく傾斜が少し緩やかになった。擁壁の上からここまで10分しか経っていないが、大仕事を終えた気分だ。

    ここでは左が崖下、右が崖上だが、考えてみると、ここまでずっと左が崖上、右が崖下だったように思う。とすると、上掲した国土地理院の地図でつづらおりに描かれている部分は、もっとまっすぐなんだろう(国土地理院の地図の徒歩道はそれほど正確ではないことがある)。きついわけだ。

    あ、そういえば「虫よけヤンマくん」を持ってきたのを忘れていた。ナップザックに付けたが、以降少なくともハチとかにはほぼ遭遇しなかった。ただ、小バエのような小さい虫にはだいぶまとわりつかれた。

    「傾斜が緩やかになった」というのは、ロープがいらないぐらい、という意味であって、ラクに歩けるようになったわけではない。

    灯台に行くときの、一般的な「きつい上り坂」になったにすぎない。これはうしろを振り返ったところ。このへんも、アイゼンなしのスニーカーだけだとかなり大変じゃないかなあ。

    まだまだのぼりは続く。

    だいぶ歩きやすくはなってきたが、道は続く。灯台はまだか!

    もしかして!? 心おどる瞬間。

    やった、灯台だ。

     

    下船してから30分弱、擁壁から20分強、傾斜が緩やかになってから10分強、日振島灯台に到着した。

    初点灯は1958年(昭和33年)2月。灯籠は昔ながらの形だが、付属舎は無粋な直方体だ。

    珍しいことに、施工会社の銘板がある。「昭和32年12月竣工」ということで、初点灯の2カ月前に建物は完成した。

    これに気を取られていたせいか、灯台の銘板を撮り忘れた。この下あたりにあったんだろうか。

    手前は退息所(官舎)があったっぽい敷地があって開けているが、海側はほとんど場所がなく、これぐらいしか撮れる余地がない。

     

    木立の間から海が見える。今ひとつの天気なので、ぼんやりとしているのだが、これは大分県津久見市と佐伯市にまたがる四浦半島ではないだろうか。とするとどこかに高甲岩灯台(たかごいわ/たかごういわとうだい)があるはず。

    もう少し左は鶴御埼灯台(つるみさきとうだい)のある鶴見半島かな。とすると、その手前に水ノ子島灯台(みずのこじまとうだい)があるはず。最大に拡大したら黒い点が見えたが、水ノ子島かどうか判別できず。

    夜になれば、ここからこれら3つの灯台の灯光は見えるはずだ。この場所で夜を明かす気にはなれないが。

    (国土地理院)

    くだりはのぼりより多少ラクだったが、時間は港まで25分ぐらいと、のぼりと大差なかった。急な傾斜、とくにロープがあるところはまっすぐ前向きではおりられず、斜め45度から横向きぐらいになり、確実に足を地面に固定しつつ一歩一歩踏み出す必要がある。くだりの局面でもアイゼンがあるとないとでは歩きやすさに大きな違いがあった。

    というわけで、能登港まで戻った。灯台までの往復は1時間ちょっとだったから、帰りの船を1時間近くぼんやり待つことになった。とはいえ、通常の運航ダイヤだったら3時間待たなければならなかったのだから、今回の幸運が身にしみた。

     

    最後に、宇和島新内港から日振島への往復で、船から見えた灯台を紹介しよう。

    (国土地理院)

    宇和島新内港を出航してすぐに見えてくるのが堂埼灯台(どうさきとうだい)だ。日振島に行く前にここにも行ったので、これは別の記事を作成した。

    https://soloppo.xsrv.jp/260503-lhquest-dousaki/

    島のように見えるが、実は地続きである三浦半島(または蔣淵半島:こもぶちはんとう)の細木運河北口灯台(ほそきうんがきたぐちとうだい)。

    大小島という小島に立つ大小島灯台(おおこしまとうだい)は、送電線鉄塔の右に、LED光源だけがわずかに見えている。

    宇和嘉島灯台(うわかしまとうだい)は島の北寄りに位置しており、船からは見えなかった。

    白い縦長のもの(写真中央)がかろうじて見えるが灯台かな? 方向や地形からして大良埼灯台(おおらさきとうだい)と思われる。

    坊主碆灯標(ぼうずばえとうひょう)はかなり近くを通った。

    行きと同じく九島の南側を通ったため、引出鼻灯台(ひきではなとうだい)は見えなかった。これは宇和島新内港に戻ったあとに陸路で向かったので、別の記事を作成した。

    https://soloppo.xsrv.jp/260501-lhquest-hikidehana/

     

  • 「風のささやき」篇 2025年大分むぎ焼酎「二階堂」CM

     

    トップ画像license:Blue223, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

     

    今年の夏も暑かった。秋の気配を感じるようになったのは10月も後半になってから。
    2025年10月後半、秋の訪れとともに大分むぎ焼酎二階堂の新CMが公開された。

    「風のささやき」篇のテーマは、小さな風や懐かしいメロディが呼び起こす古い記憶。

    名もなき約束がいくつあっただろう。風のささやきは、現実と過去の狭間で私たちの時をしばし止めるのだ。

    30秒バージョンで登場する、5つのシーンを紹介していこう。

    日豊本線 東別府駅 0~4秒

    二階堂CMより

     

    レトロな木造駅舎の建つホームから、赤い列車が発車していく。舞台となったのは九州を縦断する日豊本線の東別府駅(大分県別府市)。列車の行き先はぼやけて見えにくいが、「佐伯」と表示された大分・佐伯方面に向かう下り列車だろうか。

    2面2線のホームは跨線橋でつながれ、その向こうには(おそらく)高崎山(標高628.4m)が見える。

    東別府駅は明治44年に開業。この駅舎は開業当時からあるものだ。
    ホームにある椅子もベンチもすべて同系色で、駅舎だけセピアに褪せた写真を見るようだ。

     

     

    大肥川に架かる広瀬橋から 4~7秒

    二階堂CMより

     

    九州のどこかを流れる川に架かる橋から眺めた風景ですが、現在場所の調査中です。

     

    【追記】公式サイトに記載されていた住所と橋名「大分県日田市大字大肥 広瀬橋」から、場所が判明しました。

      

     

    上のストリートビューは2023年3月のもので、周囲をぐるりと見渡すと風景に溶け込む桜が川沿いにあり、なんとも懐かしい気持ちになる。

     

    呼子港と防波堤灯台と定期船と 7~10秒

    二階堂CMより

     

    撮影地は、呼子のイカで有名な呼子港(佐賀県唐津市呼子町)。水色と白の船は、離島の小川島と呼子港を定期運航する「そよかぜ」だ。

    手前にある防波堤の突端に立つ白いミニ灯台は、「呼子港南防波堤灯台」。上の画像では見切れているが、船の向こう側にある防波堤の先(船の進行方向)には、赤い「呼子港中防波堤南灯台」がある。

     

     

    閉校になった旧日田市立小山小学校 10~26秒

    二階堂CMより

    平成10年に閉校した旧日田市立小山小学校(大分県日田市)は、現在は小山多目的交流館として活用されている。公開されているパンフレットを見ると、CMでメトロノームが置かれたオルガンのある教室は、多目的室を利用して撮影されたようだ。

    とてもモダンな作りの素敵な小学校だが、地図で周辺を見渡すとポツンと一軒家のような立地で、ここに子供たちが通っていたのかと、少し驚いてしまう。

     

     

    まさかの古墳「虚空蔵塚古墳」 26~30秒

    二階堂CMより

      

    CMのラストシーンは、こんもりとした芝生の奥に、扇形に広がる樹を中央に据えたショットだった。きっと由緒ある樹木なのだろうな・・と撮影場所をリサーチしたところ、こんもりとした丘は古墳だったことが判明。

    ここは、国の史跡に指定されている「江田船山古墳」の附(つけたり 注1)である「虚空蔵塚古墳」(熊本県和水町)だ。

    注1)附(つけたり)は、本体(江田船山古墳)に関連するものを表す言葉

     

     

    ☆関連記事はコチラ

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  • 跳ね橋のレジェンドがここに 長浜大橋

     

    冒頭の映像『長浜大橋(通称 赤橋)ドローン空撮 愛媛県大洲市長浜』は、空活ちゃんねる様が撮影されたものです。

     

    仕掛けのある鉄の橋が好きだ。一般的に「可動橋」と呼ばれる類のものだ。

    可動橋には、橋桁がくるくる回転する旋回橋や、以前も取り上げたことのある橋の一部が上昇する昇開橋などがある。そして橋桁が跳ね上がる跳開橋(ちょうかいきょう)も可動橋の一つだ。

    跳ね橋といえば、ゴッホの絵画にも登場する。あれの大がかりバージョンという感じだろうか。

    「アルルの跳ね橋」 Vincent van Gogh, Public domain, via Wikimedia Commons

     

    長浜大橋とは

    長浜大橋(愛媛県大洲市)は橋長232.3m、幅員5.5mの跳開橋で、1935年(昭和10年)に竣工した。中央部の可動桁(18m)が開閉する。

    アルルの跳ね橋は観音開きのように開閉するが、長浜大橋は片開きである(一葉跳開橋とも)。

     

    P1010129.JPG

     

    『長浜は、藩政時代より河川舟運と海運とを結ぶ重要な拠点として発展した港町で、肱川河口付近は荷物の積み替えのために数多くの船が往来しました。』(長浜大橋紹介公式サイトより)

    と公式サイトに記載があるように、長浜大橋はかつては多くの船舶が往来する肘川(ひじかわ)河口に架かる橋だった。橋のタイプを跳開橋とすることで、大型船舶の航行も妨げず、地元港町の経済発展に大きな役割を果たしてきた。 

     

    次の画像は、橋の中央部を写したもの。開閉するのは、路面が赤く塗られている部分だ。上部に見える直方体は橋の開閉を助けるオモリ(カウンターウエイト)で、およそ82tある。

      

    左岸から右岸方向を撮影(左手方向が海)

     

    開閉部を見上げる

     

    跳ね上がる橋桁のすぐ横に、開閉を操作する管理棟がある(下の画像、白い建物)。

     

     

     

    開閉時に道路を通行止めにする「進入禁止」のポールは、通常時は橋桁の横に設置されている。
    またポールの向こう側に見えるコンクリート造の橋は、新長浜大橋で1977年に完成している。

     

    開閉時には緑矢印方向にポールを回転させる

     

    大型船舶の航行がなくなり、橋を開閉させる必要がなくなった今でも、点検を兼ねて定期的に開閉作業が行われている。

     

    少しだけ伸びた長浜大橋

    下流左岸から撮影

    長浜大橋は、左岸側にポニーワーレントラスが3基、右岸側に2基、中央の開閉部という構成になっている。

    次に示す橋の側面図は、上流側から見たものになる。このため上の画像とは左右が逆になっている。
    ここで注目していただきたいのは、もっとも右岸より(側面図の右端)にあるトラスだ。

     

     

    他の4基よりトラスが長い。

    これは、河川改修のため拡幅工事が行われたからだ。もとのトラス中央部を解体し、新しいM型に組まれた部材を継ぎ足したのだ(下図の緑線部分)。

     

    右岸の拡幅工事は2012年(平成24年)に完了

     

    右岸側から橋を渡っていくと、継ぎ足した部分がすぐ見えてくる。下の画像の緑丸の部分だ。もとからある他の部材と少し違っているのがわかるだろうか。

     

     

    次の画像の右端に見える斜材(レーシングバー)は継ぎ足した部分なのだが、リベットがなく表面がつるつるしている。逆光で見えにくいが、もし現地に行くことがあれば、ぜひこの点にも注目してみていただければと思う。

     

     

    ちなみに、Wikipediaには橋長が226mと記載されているが、この河川改修により6.3m延伸したため、公式には橋長232.3mとなっている。

     

    古くから残るもの、新しく追加されたもの

    左岸の親柱

    昭和初期に竣工した長浜大橋は、総工費29万円。現在に換算すると20億円近いとも言われる大工事だ。

    橋を建造するにあたり、当時の技術が結集されているのはもちろんだが、意匠のこだわりも見逃せない。橋の顔となる親柱はレトロな趣を醸す石積みで、街灯のデザインも凝っている。

     

     

    橋のところどころに設置された照明は球形で、印象的なデザインだ。もしかすると、後世になってから設置されたものかもしれない・・と最初思ったのだが、長浜大橋の設計図・照明詳細図には同じデザインの図案が描かれていたので、竣工時からあったものに間違いない。

     

    左岸側のトラスに設置されている照明

     

    開閉部に設置されている照明とサイレン

     

    長浜大橋には戦時中に刻まれた機銃掃射の後も残っている。

     

     

     

    長浜大橋が建設されてから、2025年の今年で約90年。橋には数々の歴史の証が刻まれている一方、先ほどのトラスへの継ぎ足しのように、後世に追加されたものもある。

    例えば、橋の道路上にあるポールだ。

    次の画像のように、両岸近くに、車両の通行を規制するようなポールが路面上に設置されている。

     

    右岸側に設置されたポール

     

    対面通行ができないようにするためのポールか?と思われたのだが、ポール以外の場所では幅員が5.5mあるので、車両のすれ違いは可能だし、実際に橋の上で車がすれ違うこともある。

    次の画像は、実際にポールの間を車が通過しているものだ。

     

    左岸側に設置されたポール

     

    一般車がぎりぎり通れる幅でポールが設置されていることがわかる。

    おそらくは、大型車両の通行を制限するためのポールなのかもしれない。橋の保全を考慮しての規制なのだろう。

    跳ね上げの角度が変わった

    現地案内板より

    現地訪問したときには気が付かなかったのだが、帰宅してからいろいろ調べていると、あることに気が付いた。

    開閉部の橋桁の角度だ。

    竣工当時は、上の画像のように跳ね上げる角度は90度だった。

    ところが、現在は60度程度となっている。理由はわからないが、点検としてはその程度で十分ということなのだろうか。

    また竣工時は、開閉するモーターは7.5馬力だったが、現在は案内板にもあるように15馬力(7.5馬力のモーターが2基)で稼働させているとのことだ。

     

    長浜大橋は、現役で稼働する日本最古の道路可動橋だ。地元では「赤橋」として親しまれている。国の重要文化財にも指定された、美しく歴史の息づかいを感じる赤橋の雄姿を、もう一度ご覧いただこう。

     

     

    【注意】

    長浜大橋は補修工事の影響で、令和7年10月15日から令和8年3月25日まで、車両通行止めとなっています。
    詳しくは、大洲市の案内をご覧ください。

     

    【参考文献】

    「四国技報」第12巻23号 平成24年7月1日  「長浜大橋部分改造について

    【関連記事】

    https://soloppo.xsrv.jp/220408-puente/

  • 水流の渦で小石が作りだす丸い穴 甌穴のふしぎ

     

    甌穴とかいて「おうけつ」と読む。川の中で小さな石が、水流によってくるくると回転して岩を削り、長い時間をかけて丸い穴になったものをいう。

    私がはじめて甌穴を知ったのは、10年以上前。気ままな一人旅で、群馬県の四万温泉(しまおんせん)に行く計画をたてたときだ。

    「千と千尋の神隠し」のモデルになったとも言われている、「積善館」がある温泉街としても知られている。と、知ったようなことを言ってるけど、私はこの映画をみていない。有名なのでなんとなく知ってはいるけど、ジブリはナウシカ(10回以上観てる)しか観ていないんだな。

     

    画像
    積善館

     

    四万温泉の宿は、四万川に沿うようにたっている建物が多く、私が宿泊した宿もベランダのすぐ下には、四万川がどうどうと音をたてて流れていた。水の流れる音ってほんとに好き。人によってはうるさくて眠れないぐらいの水音だったけど😊。

     

    画像
    川の水音は天然のBGM

    四万温泉の近くには、「四万の甌穴群」と呼ばれる観光名所があった。それは知っていたのだが、当時の私はそんな自然の造形物に興味もなく、せっかくの見学の機会をあっさりと放棄してしまったのだ。

    その後、諸般の理由から河川周辺に行く機会が増えると、今までは気にも留めなかった水場の魅力にはまっていくことになる。甌穴もそんな魅力の一つだった。

    せっかくなので、私の手元にある甌穴の写真をいくつかご覧いただければと思う。

     

    手取川の甌穴

    石川県白山市を流れる手取川は、水量豊かな川だ。下の写真の中央に見えるのは白山頭首工(とうしゅこう)で、人工的に作られた堰(せき)なのだが、まるで水のカーテンのようで、何時間でも眺めていられる。

     

    画像

     

    河原には小さな甌穴が点々とあった。丸いものをみると、なんで人は「かわいい」と思うのだろうか。
    わたしだけだろうか。丸は正義と思うのは。

     

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    鶴仙渓遊歩道の苔むした甌穴

    同じく石川県の加賀市にある山中温泉。温泉街に沿って流れる大聖寺川の近くに、遊歩道がある。

    遊歩道を歩いていると、小さな甌穴が目に入った。

     

    画像

     

    名もない、ただの丸いくぼみだけれど、もう愛しくてたまらない魅力があふれてる。

     

    嵐山渓谷の遠山甌穴

    嵐山とはいっても、京都の「あらしやま」じゃあない。埼玉県にある渓谷で、「らんざん」と読む。
    渓谷の中を曲がりくねって流れる槻川(つきかわ)に、甌穴がある。

     

    画像

      

    ちょっと説明しないと、どれですか?と聞かれそうなんだけど、上の写真の中央下にある、でっかい岩場の穴が、それである。


    この日はなかなかの水量だったけど、それでも甌穴のところには川の水は流れ込んでいなかった。
    なんだかこれだけ大きいと、逆に風情がないなとか思っちゃうけど、長い年月かけた自然の造形に、もっと敬意を払わねばいかんね。

    ということで、ここまで読んでいただいて、ありがとう。

     
    最後に、近くまで行きながら見逃してしまった四万の甌穴群の紹介動画があったので、ご覧ください。
    碧き水に沈む甌穴もなかなかだよ。

  • 2025年は鯛島上陸のラストチャンス!陸奥弁天島灯台(鯛島)についに到達

     

    ナギヒコさんから寄稿していただいた記事です

    到達:2025年7月
    難易度:■■□□(初級)

    ようやく鯛島(弁天島)に上陸し、陸奥弁天島灯台(むつべんてんじまとうだい、青森県むつ市)の前に立つことができた。感慨深い。

    しかも灯台を取り巻く風景がすばらしい。これまで行った中で1、2を争う。

    この島には今年(2025年)10月以降、来ることができない。“ラストチャンス”だったのだ。

     

    鯛島は長辺200m×短編100m弱のごく小さな無人島だ。このような島に、定期的に運航されている船で行って上陸できるのは、全国でも珍しいだろう。もちろん船をチャーターすれば行ける島ならあるが。

    陸奥弁天島灯台は、青森県下北半島の南西部、脇野沢港の近くにある。津軽海峡から来た船が、陸奥湾の東側、大湊(むつ市)や野辺地(のへじ)に向かう際の入口にある。入口を挟んで反対側の夏泊半島(平内町)には陸奥大島灯台がある。

    (国土地理院)

    鯛島には脇野沢港から観光船「夢の平成号」の貝崎周遊・鯛島上陸コースで行く。

    (国土地理院)

    「夢の平成号」は1989年(平成元年)の「ふるさと創生1億円事業」によるものだそうだ(当時の脇野沢村の事業)。貝崎周遊・鯛島上陸コース(7月から10月)のほか、仏ヶ浦コース(4月から10月)、イルカウォッチングコース(4月から6月)がある。

    実は、2年前の2023年に一度乗ろうとしたのだが、「波が荒いので欠航」となってしまったのだ。仕方ないので、陸地からと、脇野沢-蟹田のフェリーから撮影し、ひとまず「行った灯台」にカウントした。

    https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/76956?page=3

    「もう一度挑戦しようか」とも思うのだが、日帰りでは行くことができないのでそのままにしていた。

    ところが。

    今年7月になって「夢の平成号、今季で運航終了」というニュースを偶然発見。安全対策強化の必要があることや、利用者の減少などの理由で、今シーズン限りで運航を終わらせるという。つまり、鯛島に上陸する方法がなくなる、ということだ。

    ということであわてて出かけた。

     

    観光船が出航する脇野沢港からは、南方向に小さく鯛島が見える。

    鯛島は見る方向によって大きく表情が違う。北から見る鯛島は、一番さかなっぽい。

    灯台の下に目のような穴があるし、口っぽい形もある。「鯨に見える」という意見も多いのだが、尾びれが立っているのは哺乳類ではなく魚類なので、「鯛島」となったようだ。

    もう少し右に回ると、尾びれと思っていた部分(立岩という名前が付いている)が結構離れていることがわかる。

    そして尾びれを回り込み反対側へ。灯台へ向かう道や、横腹に開いたへこみなど、陸側からは見えなかったものが姿を現した。

     

    船は、灯台の真下にあるコンクリート桟橋に接岸する。

    桟橋からは、しっかりした歩道が延びている。

    ここが、鯛島の頂上、つまり灯台へののぼり口だ。想像していたよりすごく立派な工事が行われているのがオドロキだ。夢の平成号の鯛島上陸コース開始に合わせて整備したんだろうか。

    もう一つのオドロキは、鳥のフンの多さだ。島に近づいたころから気がついていたのだが、鯛島にはかなりの数のウミネコがいる。

     

    避けようがないフンを踏みながら階段をのぼっていくと、弁天さまの鳥居とやしろ、そして灯台が並んで現れた。

    階段の中央付近にある黒っぽいものは、ウミネコのヒナの死骸だ。大量のフンと羽毛のほかに、死骸もずいぶんある。ほかの鳥に襲われたのか、別の理由で死んだのかはわからない。

    鯛島上陸コースが7月下旬から始まるのには理由がある。下北ジオパークのFacebookによると、ウミネコのヒナが巣立つのを待っているのだ。ウミネコとさほど大きさは変わらないが、羽色が違う鳥がいるのは、ヒナなんだな。

    道の途中にあるのは退息所(官舎)の跡かなと思っていたが、弁天さまだったんだね。

    そのやしろの横を通れば…。

    灯台が全容を現す。非常にオーソドックスな姿だ。

     

    挑戦2回目で、ついに陸奥弁天島灯台に到達できた。うれしい。ウミネコも歓迎してくれている(?)。

    灯台を取り巻く景色、灯台から眺める景色、どちらも解放感があってすばらしい。これまで100以上の灯台に到達したが、その中の1、2を争うものだと思う。

    初点灯は1945年(昭和20年)1月。戦時中になぜ?と思うが、陸奥湾の奥、大湊に軍港があった(現在も海上自衛隊の基地がある)ことが関係していると思う。

    「灯台をぐるりと一周するだけだよ」という柵は、鯛島上陸コースと一緒に作られたんだろうな。

    このため、反対側に回っても灯台の姿は撮影しにくい。仕方ないのでその先の風景(脇野沢港付近)を撮る。正面にウミネコの成鳥、右にヒナが写っている。

    灯台を一周するともう行くところがない。四方に広がった、おだやかな陸奥湾の風景をしばらく味わったら、戻ることにしよう。

     

    鯛の尾びれにあたる立岩にも歩道がつながっているので、そっちにも行ってみよう。

    全体に丸みがある鯛島とは対照的に、岩肌の荒々しさが目立つ。岩の中央付近に四角い穴が開いている。自然にできたものではないよね?

    近くまで行ったら、階段があることが判明。観光客向けの整備がすごくないか?

    階段をのぼって穴の前に立つと、鯛島の全景が目に入る。これはすばらしい。灯台のために鯛島がある、と言ってもいい。

     

    そして穴をくぐり、鯛島とは反対側に出ると、遠くに陸地が見える。青森湾と野辺地湾の間にある夏泊半島ではないかと思う。

    そうであれば、中央に少し濃く見えるのが大島だ。画像を拡大してみると、陸奥大島灯台らしき白い点があるように思える。陸奥弁天島灯台と陸奥大島灯台の距離は約12.5km。気象条件次第では、もう少しはっきり見えるかもしれない。

    陸奥大島灯台についてはこちら。

    https://soloppo.xsrv.jp/230914-lhquest-mutsuooshima/
    (国土地理院)

    一方、西に目を向けると、もう少し高い山なみが見える。津軽半島だ。

    手前の陸地の先端と重なるような位置に平舘灯台(たいらだてとうだい、青森県外ヶ浜町)があるはずだが、肉眼でも拡大画像でもさすがにわからない。距離は16km弱だから、見える可能性はあると思うのだが。

    平舘灯台についてはこちら。

    https://soloppo.xsrv.jp/230918-lhquest-mutsuwan4/

     

    鯛島に戻り、船着き場の反対側から灯台を見る。こちらからの眺めもさまになっているな。

    30分が経った。そろそろ船が出る。

    とても充実した上陸体験だった。今年10月以降、この体験ができなくなるのは残念だ。夢の平成号と、関係するみなさん、長らくありがとう。

    このあと、鯛島はウミネコだけの楽園になる。

     

  • 花巻から遠野へ 釜石線を支える2つの橋 ~宮守川橋梁と達曽部川橋梁~

     

     

    東日本を南北に貫く東北本線。その東北本線の花巻から太平洋側の釜石まで、東西を結ぶのが釜石線だ。すべての駅が岩手県内にある釜石線には、路線の難所「仙人峠」がある。土地の高低差を克服するためのオメガループが鉄道ファンには有名だが、実はもう一つ、あまり知られていない高低差の難所がある。

    それが、花巻から遠野盆地に向かう峠越えだ。この峠越えを支えるのが、宮守川橋梁(冒頭の画像)と達曽部川橋梁、2つの橋である。  

      

    ★:2つの橋がある場所   国土地理院地図から作図

     

     

    2つの橋はともに土木学会選奨の土木遺産に認定されているが、特に観光客向けに整備されているのは宮守川橋梁のほうだ。

       

    看板の右手奥に見えるコンクリートアーチが宮守川橋梁

     

    遠野市の遠野遺産への認定、恋人の聖地プロジェクト指定など、歴史ある橋梁の雰囲気を尊重しつつ観光地としての整備もなされている。

     

    遠野遺産に認定

     

    地域の活性化支援としてNPO法人地域活性化支援センター主催のプロジェクト。この椅子に座るのは少し勇気がいりそうだ

     

    20mの間隔で5連のアーチが並ぶRCアーチ橋。全体の長さは107.3m、高さは20.6mある。

     

    向かって左方向が花巻、右方向が釜石

     

    橋に近寄って見上げると、線路の枕木の一部が確認できる。

     

      

    国有化される以前の岩手軽便鉄道が、この地域の路線を開通したのが1915年(大正4年)頃。その際に架けられていた鉄道橋の橋脚と橋台の一部が、今も現存している(次写真の赤矢印)。

     

     

    1936年(昭和11年)に国有化された後、1943年(昭和18年)に橋は改修され、旧橋に隣接して新しい橋が架けられた。これが現在の宮守川橋梁である。 

     

    橋の下には、宮守川が流れている。魚道が設けられているところからも、自然豊かな生態系が維持されていることがわかる。 

     

    画面中央右側に見えるのが魚道

      

    橋脚の陰で、ニホンカモシカらしき動物がじっとこちらをみていた

     

    宮守川橋梁から北西に約2kmほど離れた場所には、達曽部川(たっそべがわ)橋梁がある。

    写真では全体像がわからないが、支間19.2m×4連と9.8m×2連、全長98.5mのアーチ橋である。

     

    正面方向が釜石

     

    興味深いのは、宮守川橋梁が隣接して新しい橋が架設されたのに対し、達曽部川橋梁は、岩手軽便鉄道時代のプレートガーダー(桁橋)を内包する形でRCアーチ橋に作り直したことだ。

    宮守川橋梁と同じく作り直したのが昭和18年という時代を考えれば、こちらは宮守川橋梁のように新しく架設する余力がなかったということなのだろうか。

     

    釜石線では観光列車として、2014年から2023年まで「SL銀河」が運行されていた。宮守川橋梁を走行するSLは、宮沢賢治「銀河鉄道の夜」の原風景とも言われているこの路線を象徴する姿となって、今も人々の記憶に残っている。

    ちなみに、宮守川橋梁を走行する画像ではないが、運行終了の前年(2022年)に遠野駅で撮影したSL銀河の写真を掲載して、この記事の〆としたい。

     

    遠野駅跨線橋より撮影

     

    遠野駅ホームより撮影

     

     

     

  • 「ねじりまんぽ」3選 琵琶湖疎水・眼鏡橋(三国港)・甲大門西橋梁

     

     

     

    「ねじりまんぽ」という言葉を初めて聞いたとき、なんだかわからないけど面白い言葉の響きだなと思った。「まんぽ」は古い時代の方言で、トンネルを表す言葉だという。

    明治から大正にかけてあらたな鉄道が次々と敷設されていった時代、ねじりまんぽの多くは鉄道路線を支える堅牢なアーチ橋として造られていった。レンガを斜めに積み上げる工法で強度を高め、線路や道などが斜めに交差する場所に採用されたのだ。

    コンクリートが広く使われるようになると、レンガ造りのねじりまんぽの時代は終わりを告げたが、数は少ないながら現存しているものがある。

     

    アーチの上部がねじれている

     

    今回は、京都・岐阜・福井にある3本のねじりまんぽを紹介していこう。

     

    琵琶湖疎水 ~蹴上インクライン~

     

    おそらく最も有名なものは、琵琶湖疎水にあるねじりまんぽだろう。

    琵琶湖の水を京都に運ぶ水路を建設することで上水道や農業用水を確保し、水力利用による産業の活性化を狙いとしたのが琵琶湖疎水だ。京都市の蹴上(けあげ)付近には、蹴上インクラインと呼ばれる台車に乗せた船を通すための傾斜鉄道が作られた。

     

     

    上の案内板の文章を読むと、線路の下をくぐるトンネルを、強度を高めるためにあえて斜めに掘ってねじりまんぽとしたようにも受け取れる。

    次の画像は蹴上駅(地下鉄東西線)の北、三条通側(西側)からねじりまんぽを撮影したものだ。100年以上経っても、当時の華やかさを残し、なおかつ、堅牢さをあわせもつ堂々とした風格がある。

     

     

    琵琶湖疎水らしく、ねじりまんぽのアーチ上部には扁額(へんがく)も設置されている。

     

    「雄観奇想」見事なながめとすぐれた考えであるという意

     

    明るい外からトンネル内に入ると、斜めの天井部と相まって、かるく目が回るような不思議な感覚になる。

     

     

    トンネル内の下部は、水平にレンガが積まれている。連続したニッチも意匠として美しい。(トンネルのニッチといえば、一般的には非常用の退避空間を指す。でもここでは「ニッチ」と呼ぶのがしっくりくる感じ)

     

     

    ねじりまんぽの東側は西側よりもだいぶ傷みが進んでいる様子。扁額も判別できない(2020年撮影時)。

     

     

    ねじりまんぽの上には、インクラインのレールが今も残っている。春になれば線路脇の桜が咲き誇り、一大観光名所になっている。

     

     

     

    甲大門西橋梁 ~東海道本線~

     

    2本目のねじりまんぽは、樽見鉄道の東大垣駅(岐阜県大垣市)の少し東にある。完成したのは琵琶湖疎水とほぼ同時期の1887年(明治20年)。甲大門西橋梁はいまも東海道本線の下を歩行者が通る現役のトンネルだ。

    (甲大門西拱渠と呼ばれることも。拱渠(きょうきょ・こうきょ)とはレンガのアーチ橋のこと)

    付近の地図をみると、東海道本線と交差する道はもともと斜めに位置していたように見える。斜めにせざるを得なかったねじりまんぽなのだろう。

    交差する斜め具合が少し大きいためか、坑口(トンネル出入口)の4重アーチに段差ができている。下の画像では左側が顕著だ。

     

     

    琵琶湖疎水と同じく、車は通れない狭さ。秘密基地の入り口のようだ。

     

     

    ちなみに、甲大門西橋梁の西にもレンガトンネルがある。おそらく同時期に造られたものだが、こちらは線路と直角に交差しているので、ねじれてはいない。

     

    乙大門橋梁

     

      

     

    眼鏡橋 ~えちぜん鉄道三国芦原線~

     

    東尋坊が近くにある三国港はえちぜん鉄道三国芦原線の終着駅だ。開業したのは1914年(大正3年)で官設鉄道の貨物駅としてだった。

     

     

    3本目のねじりまんぽは、駅ホームの東端から眺めることができる。

     

    ホームにある案内石

     

    これまでの2本と逆で、ねじりまんぽの中を列車が通っていく。地図をみたほうがわかりやすいのだが、交差具合はなかなかの鋭角だ。

     

     

    拡大した

     

    近くで撮影できなかったので、列車の中から動画を撮影した。トンネルを通過するのはあっという間なのでねじれ具合は目視できなかったが、坑口のレンガのずれ方をみれば、かなり角度がついていることがわかる。

     

     

    動画は22秒ほど。トンネル通過時はスロー再生で編集している

     

    現役のねじりまんぽは、西日本にまだいくつもある。できれば全部訪ね歩きたいが、なかなか難しい。

    日本だけじゃなくて、外国にもねじりまんぽがある。また別の機会に、世界のねじりまんぽを紹介したい。 

     

  • 支笏湖、山線鉄橋の謎を解け 鉄道技師ポーナルのレガシー

     

     

    北海道千歳市にある支笏湖(しこつこ)は、周囲約40kmのカルデラ湖だ。最深部363mと深さがあるため、湛える水量は多く琵琶湖に次いで第2位だという。

    以前から支笏湖に行ってみたいと思っていた。美しい支笏湖ブルーを見たいというのもあるが、そこに明治時代に建造されたピン結合トラス橋が現存しているからだ。その名を、「山線鉄橋」という。

    友人の編集者が支笏湖を探訪してきたというので、現地の様子や撮影した写真を見せてもらった。

    (本稿内の山線鉄橋の写真はすべて、フリー編集者の渡辺弥侑さんおよびそのご家族が撮影されたものです)

     

    右手が支笏湖。左岸上流側から撮影した山線鉄橋

     

    支笏湖は札幌の南約30kmのところにある。千歳川は支笏湖から流出する河川で、湖の東端に位置している。山線鉄橋は、千歳川の最上流部、湖岸ぎりぎりのところに設置されている。

     

     

     

    山線鉄橋はイギリス製で1898年(明治31年)頃に製造されている。125年以上経っていることを感じさせず、人道橋として利用するになんの問題もないように思える。

    古い時代に製造された橋によくみられる、レーシングバー(折れ線状に部材を連結したバー)が橋の上部と側面に並ぶ様は壮観だ。

      

     

     

    今の時代では採用されることのない、複数の部材をピンで束ねたピン結合も大きな特徴の一つだが、現存するものはわずかだ。

     

      

     

    山線鉄橋は、イギリス人の技師チャールズ・ポーナルが設計した200フィートのトラス橋で、ダブルワーレントラスという形式が採用されている。ダブルワーレントラスというのは、斜めの部材がX字に交差して格子状になっているものだ。

     

    山線鉄橋の側面には、交差したXが10個ある

     

    ではここで、次の写真をみていだきたい。交差部材の一方がレーシングバーではなく、ただの板状の部材となっている。1か所だけではなく何か所かあったようで、山線鉄橋の写真を撮影した友人が、「不思議に思った」と伝えてくれた。

     

     

    その話を聞いたときは、修復などで部材を新しいものに差し替えたのでは?と思った。

     

    古い錬鉄や鋼の橋は当然劣化が進んでいる。一部を差し替えて補修するといったことは現実にあるし、完全に解体してコンパクトサイズに組み替えて作り直す・・などということもある。

    山線鉄橋の状況を調べてみると、1995年(平成7年)から大がかりな修復が行われたようなので、深く考えもせずに改修されたのだと感じたのだ。

    しかし、念のために・・と山線鉄橋の歴史を少し深掘して調べてみると、そうではないことがわかってきた。結論からいうと、改修はされていなかった。いや、一部補修はされているのだが、この場所ではなかったのだ。

    どういうことか。けっこう間抜けな話(わたしが)なのだが、ちょっと事の次第をお付き合いいただきたい。

     

    まずは、山線鉄橋の歴史だ。ごくごく簡単に時系列にしたものが次表である。

    山線鉄橋の歴史

     

    山線鉄橋はもともと別の場所にあった橋を移設したものだ。時は明治32年、当時の北海道官設鉄道が上川線(旭川から砂川まで)を開業した際に、空知川に架設された(下図の赤マーク)。 最初の橋名は、「第一空知川橋梁」だった。

    その後、輸送量が増大していくにつれ橋にかかる荷重も大きくなり、イギリス製のトラス橋では対応できなくなっていく。そのため、橋を架け替えることになり、トラス橋は1924年(大正13年)に王子製紙に払い下げられることになった。

     

     

    王子製紙では工場の建設資材の運搬や、製紙原料となる原木の輸送などの需要で、専用線である王子軽便鉄道を敷設しており、払い下げられたトラス橋はその路線に移設されることになった。これが山線鉄橋のはじまりである。

    山線鉄橋を移設する前には木造のトラス橋があった。丸駒温泉が開湯したり、王子軽便鉄道が一般客の乗車を開始したりなど、こちらも輸送量の増加を考えての橋の架け替えだったのだろう。

     

    少し話が戻るが、山線鉄橋は第一空知川橋梁時代に、川の中にトラス部分が落橋するという事故があった。大正5年に起きた暴風雨により空知川が増水し、トラス橋の片側が川の中に落ちてしまったのだ。当時の落橋している古い写真はあるのだが著作権上掲載できないので、次の写真をご覧いただきたい。

     

     

    2019年(令和元年)の台風19号により甚大な被害を受けた千曲川橋梁(上田電鉄別所線)を撮影したものだが、トラス橋の片側が落橋し斜めに傾いてしまっている。これと類似の状況が第一空知川橋梁にも起こったのだ。

    復旧に向けて、いくつかの案が検討されたようだが、橋を補修しわずか数か月で設置しなおしたというのは驚きだ。
    この事実を知ったとき、このときの補修でレーシングバーなどの斜材を交換したのでは!と考えたのだが、そうではなかった。

    大正6年2月(1917年)に発行された土木学会誌に、当時の詳しい状況が報告された資料があった。

     

    「北海道線第一空知川橋梁災害応急工事概況」大村卓一氏
    土木学会誌 第三巻 第一号 に掲載

     

    古い資料であり、なおかつ専門的な内容なので正確には内容を把握できないが、他の資料とあわせて判断すると、上図の赤丸部分が現在も補修跡として確認できる。次画像の黄丸で囲んだ部分がその場所で、なんだか金属のバンドエイドのようにも見える。

     

    左岸より撮影

     

    つまり、最初の疑問だったレーシングバーの交差が異なる状況は、なんらかの改修ではなかったと思われるのだ。

    そうなると、考えられるのは一つ。最初からそういうデザイン設計だったのでは・・ということだ。

     

    ポーナルは多くの橋梁を設計したが、200フィートのダブルワーレントラスが今も残っているのは4基だ。(実は台湾にも1基あるのだが、それはまた別の機会に)

    それらは、以下のような構造となっている。

     

    緑:アイバー 青:レーシングバー

     

    上図の緑色の二重線は、どうやらアイバーと呼ばれる部材で、トラスの両端3か所ずつレーシングバーと交差して用いられている。中央部の4か所はレーシングバー同士の交差となっている。 

    山線鉄橋も複数の角度からの写真を見ると、同じ構造であることがわかる。

     

    支笏湖側から見た山線鉄橋

     

    ちなみに、現存する4基の一つ旧揖斐川橋梁(東海道本線)は、以前知人が訪問したことがあり、その時の写真が次の画像だ。

     

     

    黄矢印がアイバーで、レーシングバーと交差していることがわかる。またやや見えにくいが、赤丸はレーシングバー同士が交差しており、それが4つある。

    なぜ、3本のアイバーを両端の合計4か所に設置したのかは、わからない。推測するに、すべてレーシングバーにするよりも、コストや製造期間などが短縮できるぎりぎりのバランスなのかなと。

     

    おそらく真実と思われる事実にたどりつくのに、なんだかものすごく遠回りしてしまった感じがする。青い鳥はすぐ近くにいたわけで、最初から気が付けばよかったのだが、遠回りしたからこそ知りえたこともある。まあ、だからこその探検ウォーク(今回、まったく私は歩いていないが)なのかな。

    ここまで読んでいただいた皆様、ありがとうございました。 

     

    https://soloppo.xsrv.jp/221006-chikuma/

    【参考文献】
    王子軽便鉄道ミュージアム 山線湖畔驛 webサイト

    「北海道と台湾の200ftダブルワーレントラス鉄橋」土木史研究 講演集 Vol.39 2019年 
     石川 成昭氏 日本データーサービス株式会社
     木下 宏氏 一般財団法人自然公園財団 支笏湖支部

    「北海道線第一空知川橋梁災害応急工事概況」 土木学会誌 第三巻 第一号 大村 卓一氏

  • 平磯灯標はなぜ黄色いのか 離岸堤の黄色灯標から辿り着いたジジツ

    平磯灯標はなぜ黄色いのか 離岸堤の黄色灯標から辿り着いたジジツ

     

     

    能登半島の地震が起きる半年ほど前、富山湾を臨む海岸線は夏の雲が鮮やかだった。祭りが近いのか、赤い提灯が夏空に映える。

     

     

     

    堤防の階段を上ると、右手奥に能登半島が霞んで見えた。

     

     

     

    今回訪問した場所は、下図の赤丸の場所。ほんの少し富山湾側にせり出した生地鼻(いくじはな)というところだ。

     

    国土地理院より

     

     

    ここには、少し変わった形の突堤のようなものがある。ちょっと見は船着き場のように見えるが、もちろんそうじゃない。

     

      

     

    同じ場所を航空写真で見たものが、下の地図だ(上の画像は、赤矢印の起点方向から撮影している)。海岸線に平行に配置された堤防のほかに、手前に4つ、弧を描く物体が映っている。 この物体が、いま目の前にあるモノのようだ。

     

    国土地理院より

     

     

    海岸線に近い部分には円筒形の杭が打たれている。

     

     

     

    その先は、特殊な形をしたコンクリートブロックが並ぶ。

     

     

     

    このあたりは浅瀬なのだろうか、海面の色が明るい。

    弧を描く突堤は新型の離岸堤で、「沖合から押し寄せる波の力を弱め、海岸の侵食を防止する(Wikipediaより)」役割がある。「高波から地域を守る新型離岸堤」として五洋建設が建造したものだ。

    地形や海流などさまざまな要素を考慮して、こういった形で設置されたのだろう。緻密な計算のもとに構築された建造物は、その存在だけで美しいなと思う。

     

      

     

     

    離岸堤の先端には、黄色い灯標が設置されている。

     

     

    下の画像は別の場所にあったものだが、おそらくこれと同類のものだろう。

     

     

    注目したいのは、この灯標の黄色だ。(ちなみに、この構造物を「灯標」と呼ぶのか、正確にはわからなかったが、ここでは灯標と呼ぶことで話を進める)

    船舶が安全に港に出入りできるように、堤防の突端には赤や白の防波堤灯台が設置されていることが多い。

     

    https://soloppo.xsrv.jp/201008bouhatei/

     

    なので、黄色というのは、わりと珍しい。

    黄という色からある程度の予測ができるが、なんらかの注意を要する特殊標識のようだ。確かに、離岸堤は船が入出港する場所ではなく、浅瀬にもみえるので、注意喚起のための標識ということなのだろう。

    そこで、ふと思った。黄色い灯台ってあるんだろうか・・と。

    海に浮かんでいる灯浮標(灯火ブイ)なら、緑色や黄色のものを見たことがある。でも黄色い灯台はないだろうなと思って検索したら、あったのだ。神戸沖に。

    「平磯灯標」、正確には灯台ではないのだが、これは黄色い灯台といっても遜色ない堂々としたたたずまいである。

     

    Hira Iso Lighthouse (1893)

     

    海岸線からもはっきり確認できるくらい近くにある。

     

     

     

    平磯灯標について、さらに調べてみると大変興味深い記事が見つかった。

    2016年に日本経済新聞社に掲載されていた「英文豪も眺めた海の灯 平磯灯標(時の回廊)」という記事だ。これを拝読すると、建設から100年以上建ち現存する日本最古の水中コンクリートとしての歴史を持つことがわかった。

    特に海中に土台を設置するための困難さは、短い文章からも容易に想像でき、水中の岩場に建設されたアルメン灯台(フランス)を思い出させるものだった。

     

    https://soloppo.xsrv.jp/230129-lighthouseisland/#google_vignette

     

    そんな重厚な内容の中で、一番気になったのは次の一文だった。

     

    かつて黒一色だった塗装は、国際ルールに従い黄と黒の鮮やかなツートンになった

    文 大阪・文化担当 竹内義治氏 https://www.nikkei.com/article/DGXLASHC24H4O_V20C16A6AA2P00/

     

    人は見たいものしか見えてないとはよくいったもので、私には黄色一色の灯台に見えていたが、よくよく見返してみると確かに上部が黄色、下部が黒色の2色構成になっている。

    単に黄色は注意といった意味だけではなく、この2色構成には大きな意味があったのだ。

    この上が黄色で下が黒の構成は南方位標識と呼ばれ、この灯標の南方向は航行可能な場所で北方向には岩礁や浅瀬などがある危険な領域であることを示している。

    平磯灯標のある一帯は、古くから座礁などの航海の難所で、こうした方位標識で航行の安全を図っていたのだ。

    (方位標識については海上保安庁の説明ページをご覧ください)

     

    船舶の運航にかかわる方ならよくご存じのことかもしれないが、方位標識の色の塗り分けについてはまったく知らなかった。まだまだまだまだ、知らないことがたくさんなのである。