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  • ドラマBelieveとオンナが惚れる天海祐希

     

     

     

    2024年4月25日にスタートした木曜ドラマ「Believe -君にかける橋-」は、テレビ朝日開局65周年の記念で制作されたドラマだ。主演を木村拓哉(以下、俳優名敬称略)、脇役に何人もの主演級俳優をキャスティングしたことからも、制作側の力の入れ具合がよくわかる。

    木村拓哉演じる主人公の狩山陸(かりやまりく)が、大手ゼネコン帝和建設の土木設計部部長という役柄で、橋の建設に情熱をそそぐドラマ設定と聞いていたので、土木ウォッチャーの私としても視聴しないわけにはいかないなと思っていた。

    初回放送後にXをのぞいてみると、好評価のツイートが多かった。最近では、必ずしも彼のドラマが高評価とは限らないこともあったので、まずは合格点の出だしといったところだろうか。

    なにより、土木的な視点のおもしろさもあるので、JBpressでこんな↓記事も書いてしまった。よく仕事をご一緒している吉川先生(東京都市大学名誉教授)に解説していただいているので、ぜひご覧いただければ。

    【キムタクドラマBelieveを土木視点で見る】実際の“龍神大橋”はどこにある?なぜ落ちた?

    — 

    さて、今回の本題は天海祐希だ。ドラマ内では狩山陸の妻玲子を演じている。夫と対等に渡り合う大学病院の看護師長というバリキャリの設定だ。

    言うまでもなく、宝塚の中でも抜きんでた存在だった彼女(当時のことを知らないけど、間違いなくそうなんだろう)。俳優に転身したあとも出演作は数限りない。

    その中でも私が彼女のファンになったドラマは、ちょうど20年前に放送された「離婚弁護士」だ。企業法務をバリバリこなしていた弁護士間宮貴子(天海祐希)が、独立を機に大手事務所の妨害を受け、ひょんなことから離婚を手掛ける弁護士として成長していく物語だった。

    パラリーガル役で今は亡き津川雅彦さんもいい味をだしていて、とてもいいドラマだった。なにより、弁護士役の天海祐希が、この人以外の配役はない!ほどのはまり役だった。

    その後も、トップキャスター(2006年)、BOSS(2009年~2011年)、緊急取調室(2014年~2022年)など、彼女だからこそ的な役をひょうひょうと緻密にこなし続けてきている。

    いずれも、図抜けて優秀でありつつ、人間的な小ささ(大きさじゃなくw)も併せ持ち、なおかつ信念を貫くメンタルタフネスな女性を演じさせたら右にでるものはいないだろう。そんな彼女は圧倒的にオンナにもてるオンナである。

    あれほどの透明感のある美貌とスタイルを持つ俳優さんなので、もちろん男性のファンもたくさんいるだろう。でも、おそらくは敬遠する男性も少なくないはずだ。内面のかわいさを覆った圧倒的なパワーに、オトコは気後れしてしまうのだ。

    — 

    もちろん、天海祐希はバリキャリ以外の役も数多くこなしている。例えば、先日再放送されていたガリレオ第2シーズン最終回の三田綾音役では、心優しい家庭的な妻を演じていた。でも見ているこちら側にしてみると、何か違う。こんな男にしがみつくような人ではないはず・・と役柄に違和感を感じてしまう。

    ネタバレになるのでこれ以上はかけないが、その役柄も少し裏があるので、あえての違和感を醸し出していたという演技上の演出ということもある。

    が、やはり違う。どうしてもいろんな障害をなぎ倒していく強くてかっこいい天海祐希を、こちら側は求めてしまうのだ。これはもう、天海祐希というより、見る側のフィルターの問題なのかもしれないが。

    — 

    話は戻り、Believeでの天海祐希。正直なところ、木村拓哉と天海祐希の夫婦というのも、あまりしっくりこない(中年ではあり得ないくらいの美男美女の夫婦だけど)。

    (現在わかっているドラマ上の設定では)余命宣告されていることだけでなく、奥になにかを抱えた不安定な様子が、みているこちらを落ち着かなくさせる。今後、どんな心の動きをみせてくれるのか、彼女演じる妻玲子の動向も非常に気になるところである。

    ちなみに、ドラマ冒頭のシーンに関してちょっと面白いことがあった。

    ベッドに寝ている狩山がアラームとともに起床し、ベッドの中で誰かとチャットするシーンを覚えているだろうか。

    このシーンに関して、男性の同僚が「あれって、誰と会話してるんだ?今回の話になにか絡んできた?」とつぶやいていた。

    わたしが、「妻でしょ」というと、驚いたように、「え?同じ家の中にいるのに?」と言う。

    後で録画したドラマを見返してみると、スマホの中にチャット相手のアイコンが表示されているのだが、ナースキャップらしきものをかぶっているアイコンだったので、やはり相手は看護師である妻の玲子なのだと思う。

    「お久しぶりです」という言葉も、同居していながら多忙のあまりめったに顔を合わせない相手に対する、軽いジャブなのだろう。

    おそらく、女性ならチャットを送った相手が妻だとすぐわかったのではないか。彼ら夫婦の関係性が、すぐにピントきたのではないかという気がする。

    オトコとオンナの間にはかように深くて流れの早い川があると感じるのだが、どうだろうか 笑

  • 「日本一長い廊下」と呼ばれた徳島の美馬橋 その理由は

    冒頭写真のlicense:Sunport1216, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

     

     

    「徳島県」と聞いて、何を思い浮かべるだろうか。伝統芸能の阿波踊りが有名だが、IT系の世界で長年生きてきた私には、日本語入力システムATOKを生み出したジャストシステムの本社があった場所、という印象が強い。

    徳島県は、大小約500あまりの川が流れる水の都だ。特に、日本三大暴れ川の一つである「吉野川」には、川を越える幾多の奮闘物語とともに、多くの橋が架けられている。

    冒頭の写真は、吉野川下流域に架かる美馬(みま)橋で、徳島県徳島市と香川県坂出市をつなぐ国道438号の橋である。

     

     

    美馬橋か架けられたのは、1958年(昭和33年)。完成する10年ほど前に起きた渡し船の事故をきっかけに、永久橋を望む機運が高まり建設された橋の一つだ。

     

     

    中央部にある3連の下路式ランガートラスと、連続した上路式ワーレントラスで構成される9連の橋で、橋長は417.7m。1974年(昭和49年)には、上流側に歩道橋が設置されている。

    地元にとっては悲願の永久橋だが、その恩恵を最も身近に感じたのは、徳島県立美馬商工高等学校だったかもしれない(現在は廃校)。

    同校は、1956年(昭和31年)に美馬商業高校として開校。現在、美馬橋の左岸側にある徳島県立池田支援学校美馬分校(徳島県美馬市)のある場所に校舎が建てられた。

    その2年後、美馬橋が架けられた同じ年に、工業過程が新たに併設された。この工業過程の校舎が、対岸の貞光町(現つるぎ町)におかれたことで、商業過程と工業過程の2つの校舎は、美馬橋でつながれることとなったのだ。

    当時は、生徒や教師がよく行き来をしたということで、美馬橋を同校の「日本一長い廊下」と呼ぶ人もあったといわれている。

     

     

    上のストリートビューは右岸側から美馬橋を撮影したものだ。左岸側の橋の終端の上部に見える白い団地のような建物の立つ場所が、商業過程の校舎があった場所だ。

     

    美馬橋とともに歩んだ同校も、その後分離独立などを経て、2014年(平成26年)に統合され廃校となっている。

    美馬橋は校内廊下としての役割は免除となったが、連続したワーレントラスとランガートラスの美しいアーチが、今も地元の重要な交通路として存在感を放っている。

  • 衝撃の映像:コンテナ船衝突で、「フランシス・スコット・キー・ブリッジ」(メリーランド州ボルチモア)の一部が崩落

    冒頭写真license:Dharrah87, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

     

    いまから2~3時間前に、夕方ニュースの映像に目が釘付けになった。

    アメリカ、メリーランド州のボルチモアの橋に、コンテナ船が衝突して橋が崩れ落ちる映像だ。

     

    https://www.youtube.com/watch?v=3lOyFjWT_LQ&t=3s

     

     

     

     

    (行ったこともないけれど)幾度もアメリカに架かる古い橋をリサーチしてきたので、なんだか国内で事故が起きたような衝撃がある。

    橋は、フランシス・スコット・キー・ブリッジで、開通は1977年。
    名前は、アメリカ国歌「星条旗」の作詞者フランシス・スコット・キーに由来するらしい。

    全長:8636 フィート (2,632.3m)、最長スパン:1200 フィート(366m)の美しいトラスを持つ橋だ。

     

    衝突したコンテナ船「ダリ」号に、負傷者はいなかったと現時点ではロイター通信が伝えている。

    また、橋を走行していた車両が崩落とともに落下していると報道されている。一刻も早い救助を祈りたい。

     

    参考:Wikipedia Francis Scott Key Bridge collapse

  • 灯台密度(おそらく)日本一、馬島の4灯台を一気に巡る

     

    ナギヒコさんから寄稿していただいた記事です

     

     単位面積あたりの灯台の密度が日本一なのが、おそらく馬島(うましま、愛媛県今治市)だと思う。なにせ南北1.1km、東西700mという小さい島なのに、灯台が4つもあるのだ。

     その理由は、次の地図を見ればよくわかる。

    (国土地理院)

     これは瀬戸内海の中央付近、上の広島県尾道市と下の愛媛県今治市とを結ぶしまなみ海道があるあたりだ。たくさんの島があり、どこを通るにしても、島と島の間が狭い。

     

     現在伊予灘や九州と、燧灘(ひうちなだ)や関西を行き来する多くの船は来島(くるしま)海峡を通っている。しかし来島海峡は潮流が激しく、操船を誤ったことによる事故は今でも起こっている。それほどの“難所”であるということだ。

     このため、船の航行性能が低かった明治時代には、難所の来島海峡を避け、大下島、大崎上島、大久野島、三原、尾道を通る航路(布刈瀬戸航路、三原瀬戸航路などと呼ばれる)を使っていた。

     布刈瀬戸/三原瀬戸航路沿いには、1894年(明治27年)に一斉に造られた9つの灯台があり、別記事で書いた。

    https://soloppo.xsrv.jp/240317-lhquest-9toudai/

     

     それが昭和(1925年から)になるころには、来島海峡を通る航路の利用も増えていったと思われる。このため、来島海峡のど真ん中にある馬島に灯台が建てられるようになったのだろう。馬島にある4つの灯台の初点灯は、1938年(昭和13年)、1960年(昭和35年)、1961年(昭和36年)、2011年(平成23年)。布刈瀬戸/三原瀬戸航路の9灯台よりはずっと新しい。

    来島海峡には小さい島がいくつもある(国土地理院)

     

     馬島に行くには路線バスか定期船を使う。

     路線バスの場合は、しまなみ海道を使って、今治駅前や今治桟橋と、大三島の宮浦港を結ぶ路線を使う。今治駅前のバス乗り場から乗った。

     今治市街を抜け、しまなみ海道に入り、今治駅前から20分ぐらいで、馬島バスストップに着く。

     バス待合所の左は、下に下りる通路で、そのあと道路の下をくぐり、反対側に行く。

     道路の反対側(今治行きバス停があるほう)に、エレベーターがあり、それを使って島に下りる。

     

     が、その前に橋の上からそれぞれの灯台を眺めておこう。これが西端にある小浦埼灯台。

     これが北端にある来島洲ノ埼灯台。

     これは道路の反対側(今治方面行き)のバス停から見た、南端にあるウヅ鼻灯台。

     東端にあるナガセ鼻灯台は、山に隠れて見えなかった。

     

     4つの灯台の大まかな方向と距離がだいたいつかめると、よしいくぞ、という気分が盛り上がる。

     エレベーターを降りると目の前にトイレがあった。この島に来る人は多いのか? きちんと管理されているようだった。

     

     ここから4灯台のクエストを開始する。実際の内容は長いので個別記事にまとめた。

    https://soloppo.xsrv.jp/240324-lhquest-nagasehana/
    https://soloppo.xsrv.jp/240324-lhquest-kurushimasunosaki/
    https://soloppo.xsrv.jp/240324-lhquest-kourasaki/
    https://soloppo.xsrv.jp/240324-lhquest-uzuhana/

     

     4つの灯台を見終わったあと、馬島港(エレベーターの近く)に着いたのが11時半。バスを降りたのが9時だから、2時間半の徒歩で4つの灯台を見られたわけだ。そんな場所はなかなかないよな、と思う。

     予想より早く終わったので、どうしようかと思っていると、12時発の旅客船(渡船)があることに気づいた。1日6往復ある航路で、これで今治に戻ろう。

     ただ、この旅客船、馬島を出て、小島(おしま)、来島(くるしま)という2つの島を経由して今治側に行くのだが、着くのが今治港ではなく、今治の中心地からだいぶ遠い波止浜(はしはま)というところなのだ。

    馬島-小島-来島-波止浜という青線が航路(国土地理院)

     馬島港の待合所はかなりちゃんとしている。トイレもある。

     写真をよく見たら、待合所ではなく「観光休憩所」と書いてあった。室内でおもしろい掲示を見た。

     貨物の運賃表なのだが、最初(左上)が清酒10本。そのほか電気洗濯機、ミシン、タンスなどが並んでいる。昭和の中期ぐらいに作ったものを使い続けているんだろうな。「記載以外は類似品を基準として算出する」とあるので、別に困ることはないんだろう。

     

     そうこうしているうちに、なかなかりっぱな船が来たが、結局ほかに馬島から乗った乗客はいなかった。

     馬島を出港すると、海から小浦埼灯台と来島洲ノ埼灯台がよく見えた。両者の高さ(海抜)がかなり違うことがわかる。現地に行ったときには気づかなかったが。

     馬島の次に寄港した小島(おしま)からは、釣り人1人と、高校生ぐらいの男女が乗ってきた。

     次の来島(くるしま)は馬島や小島よりだいぶ小さい。それなのに海峡名に採用されている。瀬戸内海で活躍した村上水軍(村上海賊)の一族が本拠を置いた3つの島のうちの一つが来島(ほかは能島と因島)だったことが関係しているのかもしれない。

     船が波止浜に近づくと、造船所がひしめく一帯になる。最盛期から比べるとだいぶ少なくなっているらしいが。

     船着き場の近くにバス停があるが本数が少ない。仕方ないので、JR予讃線の波止浜駅まで歩いた。コンビニでコーヒーを飲んだりしたせいもあり、25分ぐらいかかってようやく到着した。

     馬島でバスを待った方がラクだったし、今治にも早く戻れたのだが、せっかくなら行き帰りで別のルートを通る方が、いろいろなものを見られておもしろいのではないか。今回はかなり余裕がある行程だったこともあるけど。

     

     

  • 「布刈瀬戸/三原瀬戸航路9灯台」制覇を目指して――すべて明治27年初点灯、8つが現役という貴重な“文化遺産”

     

    ナギヒコさんから寄稿していただいた記事です

     

     広島県尾道市と愛媛県今治市を結ぶしまなみ海道付近には、明治27年(1894年)に初点灯した灯台が集中している。しかもその9つのうち、8つが現役の灯台として稼働しているという、なかなかホットな場所なのだ。

     

     2023年から2024年にかけて、これを全部見に行くことを目指した。結果は次のとおり。

    百貫島灯台:上陸または近づくための定期航路がないので断念

    長太夫礁灯標(島ではなく岩礁に立つ“灯標”のなので、厳密には灯台ではないが、ここでは“9灯台”に含めている):上陸できないので断念(近くからの撮影は可能と思われる)

    大久野島灯台:現在稼働しているのは1992(平成4)年に改築された2代目。ただ、初代も別の場所で保存されており、そっちも見学した

    鮴埼灯台(廃止):行けたのは登り口の手前までで、先は閉鎖されており、現地までは行けなかった。ただ資料写真やレンズは保存されていて、見ることができた

    ・残り5つの大浜埼灯台、小佐木島灯台、高根島灯台、中ノ鼻灯台、大下島灯台:到達した

    「完全制覇」とは言えないが、現状でできる範囲のことはやった、という感じだ。

    上段左から大浜埼灯台、小佐木島灯台、高根島灯台、下段左から大久野島灯台(初代)、中ノ鼻灯台、大下島灯台

     どれも形はわりと似ている。石造りであまり高くなく、周りを円形の外壁が囲んでいる。だが、同じ形ではない。共通の目的で同時期に作られても、それぞれ意匠を工夫し、個性を備えている。“効率”を求めて画一化しているわけではない。明治の灯台の美しさはそういうところにあると思う。

     光源はLEDに置き換えられているものも多いが、当初、それほど大きなレンズは使われていなかったようだ。船が近くを通ることが多いので、灯塔の高さや光の強さはあまり求められなかっただろう。

     現地まで行くのに多少苦労があるのは、小佐木島灯台(船の便が少ない)と高根島灯台(クルマの運転にビビる箇所がある)ぐらいだ。急な上り下りの連続、迷い道や藪のかき分け、長時間の徒歩など、到達までに苦労するところはないので、この6灯台の制覇はそれほど難しくないだろう。

     

    9灯台の同時設置は日本の産業発展のあかし

     これら9灯台が一斉に建てられたのは、燧灘(ひうちなだ)(播磨灘を経て関西方面)と伊予灘(九州方面)とを行き来する多くの船が、この航路を通るようになったからだ。

     大浜埼灯台の近くにあった案内板(設置者不明)の説明を引用する。

     瀬戸内海を航行する船舶は、潮流が一番速く危険が多い来島海峡を通る必要がありました。このため、ひうち灘から布刈瀬戸、三原瀬戸を通過して周防灘にでれば、比較的潮流の影響をうけないで航行することができます。

     この航路のため、明治27年5月、百貫島灯台、大浜埼灯台、長太夫灯標、小佐木島灯台、高根島灯台、大久野島灯台、鮴埼灯台、中ノ鼻灯台、大下島灯台等がほぼ同時に建設され点灯しました。

     航路に一定の呼び名がついていないようだが、「布刈(めかり)瀬戸航路」「三原瀬戸航路」「中瀬戸航路」などと記述されていることが多い。東から布刈瀬戸、三原瀬戸、中瀬戸、大下瀬戸を通るためだ。

     9つの灯台に対しては「花の明治27年組」という言い回しもネット上で見た。

     

     なぜ明治27年(ごろ)だったのかは、いくつかの説明がある。九州の石炭を大阪の工業地帯に運ぶ需要が増えた(木江ふれあい郷土資料館の展示パネル)、山陽鉄道が尾道まで開通し、尾道港が大きな集積地になった(同)、日本郵船がインドのボンベイと神戸の間に開設した定期航路と深くかかわっている(Web記事「大下島灯台を探訪」)など。

     いずれにせよ、明治中期に日本の産業が大きく発展したことの現れだ。現在も稼働を続ける「9灯台」は、それをはっきりと示す大事な“文化遺産”と言えるだろう。

    https://soloppo.xsrv.jp/231212-lhquest-oohamazaki/
    https://soloppo.xsrv.jp/231204-lhquest-kouneshima/
    https://soloppo.xsrv.jp/231127-lhquest-kosagijima/
    https://soloppo.xsrv.jp/231204-lhquest-ookunoshima/
    https://soloppo.xsrv.jp/240317-lhquest-mebarusaki/
    https://soloppo.xsrv.jp/240317-lhquest-nakanohana/
    https://soloppo.xsrv.jp/240317-lhquest-oogeshima/

     

    来島海峡には灯台密度日本一?の馬島に4灯台

     地図をもう一度みてほしい。

    (国土地理院)

     布刈瀬戸/三原瀬戸航路は、いくつもの島をこまごまとぬうように通っている。一方、今治と大島の間の来島(くるしま)海峡を通る方が、航路としてはシンプルになる。

     明治時代の航路が来島海峡を避けたのは、その場所の潮流が激しいからだ。動力の弱い当時の船は、来島海峡を通るのに苦労しただろう。

     現在では多くの船が来島海峡を通っている。しかし操船を誤ったことによる事故は今でも起こっている。それほどの“難所”であるということだ。それは現地で海面を見ても、雰囲気はつかめる。

     

     このため、来島海峡には灯台や灯標がたくさんある。おそらくほとんどが昭和になってから建てられたものだろう(中渡島にある中渡島灯台だけは、初点灯が明治33年)。

     なかでも注目は、今治と大島の間にある馬島(うましま)だ。南北1.1km、東西700mという小さい島に灯台が4つもある。おそらく「灯台密度」では日本一なのではないか? さすが“瀬戸内海の難所の一つ”だ。

     馬島の4つの灯台についてはこちら。

    https://soloppo.xsrv.jp/240324-lhquest-umashima/

     

  • 隅田川から眺める豊海橋 フィーレンディール形式としては日本最古

     

     

    フィーレンディールという橋の形式がある。この形式を考案したベルギー人のアーサー・フィーレンディール(Arthur Vierendeel)から名付けたもので、梯子を横倒しにしたような見た目のフレーム構造をもつ。

    この形式で造られた橋はそれほど多くないが、戦前に造られ現在も現役で残っている橋は2つしかない。

    その一つが、日本橋川の最下流の豊海(とよみ)橋で、隅田川との合流地点に架かる橋だ。

      

     

    豊海橋の竣工は1927年(昭和2年)。関東大震災発生の後、震災関連の復興事業として架けられた橋の一つである。

     

    隅田川を運行中の船より撮影

     ■形式 下路式フィーレンディール橋

     ■橋長 46.13m

     ■幅員 8m

     

    次の動画は、隅田川を遡上する船から、豊海橋を撮影したものだ。

     

     

     

    ちなみに、現存するもう1つのフィーレンディール形式の橋は、富山県黒部市にある目黒橋だ。1934年(昭和9年)に、黒部峡谷鉄道の猫又駅(富山県黒部市)と黒部川第二発電所(通称:猫又発電所)を結ぶ引込線の橋として架橋された。

    豊海橋とは真逆の赤い色が、深い峡谷の緑によく映える。

    角を曲線としたモダンなデザインは、90年たった今でも色あせることなく、見る者を惹きつけるパワーを持つ。

      

    目黒橋
    Tam0031, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

     

  • 第一湯檜曽川橋梁 上越線の歴史を語る石積みの橋脚

     

     

     

    湯檜曽(ゆびそ)という無人駅をご存じだろうか。JR東日本の上越線に所属する湯檜曽は、群馬県と新潟県を隔てる谷川連峰の少し手前、群馬県側にある駅だ。

    鉄道路線的には、湯檜曽ループ線として知られる場所でもある。

    冒頭の写真は、第一湯檜曽川橋梁。上越線がまだ単線で、水上から越後湯沢まで延伸した1931年(昭和6年)に造られた歴史ある鉄橋だ。
    JR上越線清水トンネル関連施設群の一つとして、土木学会の土木遺産にも選奨されたのだが、世間的にはあまり知られていない。

    今回は、地味ながら味わい深い第一湯檜曽川橋梁を紹介する。 

    上り線で湯檜曽駅へ

    湯檜曽(群馬県みなかみ町)と越後湯沢(新潟県湯沢町)の間には険しい山々が立ちはだかり、上越線はこうした厳しい山岳地にいかにして鉄道路線を通すかという戦いの連続だった。

    水上から越後湯沢まで延伸できたのも、10年近い工期により清水トンネル(全長9702m)が開通したからだ。

    当時は単線だったが、後に複線化。この複線化に際しても色々とあるのだが、それはまた別記事で紹介することとして、現在は昔の単線だった古い路線が上越線の上り線として利用されている。

    今回は越後湯沢方面から上越線の上り列車に乗車。越後湯沢→→→土合(どあい)→湯檜曽に向かうことにした。

     

    地図の下方向が水上方面 国土地理院地図より

     

    上の地図は、湯檜曽駅周辺を表示したものだ。越後湯沢寄りの隣駅土合から出発した列車は、紫矢印のようにくるりと反時計回りに進行し、湯檜曽駅に到着する。

    国土地理院の地図では茶色の破線で表示されている第一湯檜曽トンネルは、別名「湯檜曽ループ線」と呼ばれている。円を描きながら徐々に高度を変えていく方式は、急峻な山岳路線に鉄道を通す方法の一つなのだ。

     

     

    ちなみに、紫の実線と破線が交差している場所があるが、その交差しているところから湯檜曽駅方向を撮影したものが次の画像だ。

     

    黄枠が湯檜曽駅

     

    ループ線に入る前の線路と、ループ線を抜けて駅に向かう直前の線路とはかなり高低差があることがおわかりいただけるだろう。

    このあと列車はすぐにループ線のトンネルに突入してしまうのだが、トンネル内なので円を描いてくるりと一周する感覚は残念ながらよくわからない(私がにぶいだけかもしれない)。

     

    ちなみに、交差点をすぎてすぐにもう一枚撮影したものが、次の画像だ。

     

    黄丸:湯檜曽駅舎 赤矢印:第一湯檜曽川橋梁 紫矢印:ループ線抜けた列車が向かう方向

     

    こちらのほうが、第一湯檜曽川橋梁がはっきり写っている。そのすぐ左隣にある道路が国道291号で、ちらりと見える赤い欄干は湯檜曽橋だ。 

    上りと下り、ホームが離れている 土合ほどじゃないけれど

    湯檜曽駅上りホーム。正面は水上方面

     

    2両編成の列車は湯檜曽駅上りホームに到着。下車したのは私一人だ。

    隣の土合駅は、上りホームと下りホームが離れた場所にあり、高低差もかなりある。下りホームは日本一のもぐら駅として、メディアで観光スポットとして取り上げられるのを目にする機会も増えた。

    湯檜曽も土合ほどではないけれど、下りホームは少し離れた新清水トンネルの中にある。

     

    湯檜曽駅前の広場から駅入口と上り線ホームを撮影

     

    駅前広場から駅を撮影した上の画像を見ると、上りホームが広場よりも高い場所にあることがわかる。下りホームはトンネルの中なので見えないが、上りホームの向こう側に迫る山の中にある。 

    石積みの橋脚がいい感じ

    第一湯檜曽川橋梁は、駅からすぐの場所にある。

     

    ループ線に入る直前、紫矢印の方向に上り列車は進む

     

    上の写真は、さきほど列車内から撮影したのとは逆の方向から撮影したものだ。ループ線を抜けた列車が通る第一湯檜曽川橋梁と、ループ線に入る前の線路の高低差は50m前後あるだろうか。

     

    湯檜曽川の右岸寄りから撮影

     

    目的の橋に到着。すぐ横に国道の橋が架かっているので、間近で鑑賞できる。

    橋長67.5m、3連のプレートガーダーで、2本の橋脚がある。石積みの橋脚は風格が漂い、下部の赤く塗装された部分は後から補強されたものだろうか。

     

    左岸側から撮影。近くまで寄ると、並んだリベットがよく見える

     

    石積みの円柱橋脚といえば、秋田県八峰町の第二小入川橋梁を思い出す。

    https://soloppo.xsrv.jp/201025koirikawa/

    秋田のこの橋の竣工は1926年(大正15年)。橋脚はコンクリートの芯の周囲に石を積み上げたもので、石の間にモルタルやコンクリートを流し接合する工法らしい。

    時期が近いので似たような工法なのかもしれないが、第一湯檜曽川橋梁について詳しいことはわからなかった。

     

    同じ路線には土木遺産Aランクの橋梁も

    第一湯檜曽川橋梁は、冒頭で書いたJR上越線清水トンネル関連施設群の一つだが、その中にもう一つ別の鉄橋が含まれている。名前は、毛渡沢(けどさわ)橋梁、土木遺産Aランク指定の鉄橋だ。

    Aランク指定がどれほどのものか、次のGoole Mapのシェア画像をみていただければ、その存在感の迫力を感じていただけるのではないだろうか。

     

     

    次の地図は、第一湯檜曽川橋梁と毛渡沢橋梁の場所をマッピングしたものだ。

     

     

    川端康成「雪国」の書き始め、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」のモデルとなった清水トンネルを抜けた先にあるのが、毛渡沢橋梁でもある。

    毛渡沢橋梁については、また次の機会に紹介したい。

     

  • 【佐渡の土木旅#2】佐渡島の大間港 土木技術の変遷がわかる石積みの塔【世界遺産】

    【佐渡の土木旅#2】佐渡島の大間港 土木技術の変遷がわかる石積みの塔【世界遺産】

     

     

     

    大間港にあった、石積みとコンクリートの二層構造の塔のようなものは何か。

    その答えは、現地案内板の写真の中にあった。

    まずは同じような位置から撮影された新旧2枚の写真を見ていただきたい。

     

    1938年(昭和13年)に撮影された写真 佐渡市提供の現地案内看板より
    2023年 海側から撮影

    1938年(昭和13年)頃の大間港の様子 佐渡市提供の現地案内看板より

     

    糸巻のように見えたコンクリートの正体は、クレーンを設置する台座だった。台座の上に操作室がありクレーンを操作していたのだ。

    資料によると、石積みとコンクリートからなる台座は、1914年(大正3年)頃に設置されたものらしい。現在の様子(下の写真)と見比べると、台座だけが今も残っているのだなということがよくわかる。

     

    2023年に撮影

     

    たたき工法でわかる時代の変遷

    左側のクレーン台座の下部や、右側の防波堤の一部にたたき工法が使われている

     

    ここで、大間港の建設時に話を戻そう。大間港の工事は約5年を要し、1892年(明治25年)に完成した。当時はコンクリートが普及していなかったため、「たたき工法」を用いて港が建設された。「たたき」とは、消石灰と土砂を水で練って混ぜたもので、石積みと組み合わせる工法が採用されていた。

    これまで紹介してきた現在の大間港の遺構には、色とりどりの石で固められたものが多くある。

    石積みとコンクリートの二層構造のクレーン台座2基は、1914年(大正3年)に設置されたと現地の案内板に書いてあった。それを読んだとき、明治時代に造られた石積み台座の上に、大正時代になってから後々コンクリート製の台座を追加で設置したのだと思ってしまった。

    ところがそうではないことが、別の写真から判明した。

    まずは、ほぼ同じ角度から撮影した新旧の2枚の写真をみていただきたい。 

     

      

     

    モノクロの写真と説明文を見る限り、昭和13年の時点では、石積みの台座の上にクレーンが乗っていて、このあとに現在残る遺構のようにコンクリート部分が追加設置されたことになる。

    つまり、大正3年(もしくはそれ以前)にたたき工法によるクレーン台座が設置され、昭和13年以降にその石積み台座を利用してコンクリート部分の増設が行われたということだ。おそらく台座の高さが十分でなかったということなのだろう。

    また、新旧2枚の写真にあるトラス橋にも注目だ。

    モノクロ写真の橋は現在のものと違うように見える。実は赤錆びたトラス橋が架けられたのは1945年(昭和20年)頃で、それ以前は木製の橋だったと記録にある。これは、その木製の橋が写っている貴重な写真でもあるのだ。

     

    3つ目のクレーン台座

    大間港周辺図 佐渡市提供の現地案内看板より

    大間港周辺図を見ると、クレーン台座が3つあることがわかる。赤丸で囲んだ台座が、石積みとコンクリートの二層構造になっているものだ。

    そして黄丸で囲んだ場所にあるクレーン台座は、細身の塔のような形ですべてコンクリートでできている。

     

    防波堤の先に設置されたクレーン台座

     

    冒頭のモノクロ写真中央部にも、クレーンが設置されたこの台座がしっかり写っている。設置は1935年(昭和10年)とのことで、このあとに、石積み台座にコンクリート分を追加設置していることになる。時代が進み、この頃にはコンクリートが普及していたということだろう。

     

    このクレーン台座の近くまで、コンクリート製の防波堤が延びているが、平成4年度に造られたことを示すプレートが埋め込まれていた。

     

     

    船を進水させる斜路も

    防波堤の先端部から撮影

     

    防波堤の先端部から北方向を振り返って撮影したのが上の写真だ。防波堤の途中までは、たたき工法で造られた石積みになっていることがよくわかる。

    二層構造の2つのクレーン台座の間には小屋がある。小屋の入口から海面に向かってレールが敷かれているのが見えるだろうか。船を進水させるためのスリップウェイと呼ばれる斜路で、いつ設置されたかは不明だが、1938年(昭和13年)の古い写真には同じ場所から船を進水させる様子が写っている。

     

    スリップウェイから小屋方向を撮影

     

    小屋の内部。建築年は不明だが、そこそこ古いものじゃないかと思う。梁と柱に斜めの補強材が設置されているが、木材の色が違うので、後の時代に補強されたものだろう。

     

      

    小屋内部からスリップウェイ方向を撮影

     

    次で大間港の紹介は最後だ。

    外海近くにそびえたつ、2本脚の遺構の正体をリポートしていく。

     

     

    次回に続く

  • 【佐渡の土木旅#1】佐渡鉱山専用だった大間港 今も残る異空間【世界遺産】

     

     

     

    船酔いの限界を超える一歩手前で、なんとか佐渡島の両津港にジェットフォイルは到着した。

     

    時速は80km。座席にいるとあまりその速さは感じない。酔っちゃったしな

     

    レンタカーで島を横断

     

    両津港のすぐ近くでレンタカーを借りる。そこから島を横断して大間港のある西に向かうのだが、まずはドラッグストアに立ち寄り酔い止めを買う。帰りのフェリーは2時間半の乗船なので、備えなくてはならない。

    計画時にお昼ご飯はどうしようか?という話になり、「佐渡と言えば回転寿司でしょう!」ってなことで、候補の回転寿司店を2軒ピックアップしておいた。

     

     

    ついさっきまで船酔いしてたのに、もう頭の中は寿司ネタのことしかない。わくわくして寿司店の広い駐車場に入ると、まだ11時20分ぐらいなのに店の入口からすでに人があふれている。2軒目も同様だった。

    最低でも30分以上待つことになりそうで、今回の旅はスケジュールがタイトなのでひじょーに残念ながら寿司は見送ることにした。

    そんなことも想定して、編集さんが地元で評判の人気パン屋さんをリサーチしておいてくれた。そこでお総菜パンを買い、隣のコンビニでコーヒーを買って車の中でお昼ご飯。これはこれで、悪くない。

     

    レンタカーはトヨタのパッソ 2023年9月で生産終了なんだね

     

    オリジナルハンバーガー うまし

     

    大間港の入口を見落とすな

     

    佐渡島を東から西へ横断し、県道45号を北上してすぐ左手に大間港への入口がある。上のストリートビューでは蛍光色のささやかな看板がでているが(2019年に撮影されたもの)、私たちが訪問時に同じものがあったかどうか全く覚えていない。

    大間港の場所は事前に把握していたものの、どこかなどこかなと注意深く探さないと左折する場所に気が付かなかった。

     

    左折するとすぐ目の前に、門番のような2本の門柱が私たちを出迎えてくれた。

     

    写真に写っているのとは別に、右方向にもう1つの門柱のようなものがあった

     

    現地にあった地図(南が上)で説明すると、赤矢印の先端からの眺めが、上の画像である。誰一人いない、すでに役目を終えた古い港の遺構が、そこにあった。

     

    大間港周辺図 佐渡市提供の現地案内看板より

      

    赤錆びたトラス橋と

     

    さらに港に近づくと、小さな入り江の狭まった場所に架けられたトラス橋が目に入る。この橋の下に待機した小舟に、橋の上から鉱石などの運搬物を落とし込んだらしい。

     

    さてこの光景、なぜだかゴッホの「アルルの跳ね橋」を思い出す。橋の構造も何もかも違うのだけれど、どこか同じ香りがする。この絵が描かれたのが1888年、大間港の建設が始まったのが1887年(明治20年)なのはたまたまなのだろうが、どこかで何かがつながっているような不思議な感じだ。

     

    The Langlois Bridge at Arles(1888年) ヴァルラフ・リヒャルツ美術館蔵

     

    大間港は、明治時代に建造された人口の港だ。佐渡鉱山の金をはじめとした鉱石の搬出や、火力発電所の石炭搬入など重要な役割を担っていた。

     

    次の写真、中央左手にある崩れた建物の一部は、かつての火力発電所の跡で、その右奥に小さく煉瓦倉庫が見えるがこれも当時のものである。

     

    トラス橋の前から南方向を撮影

     

    トラス橋のすぐ近くには、荷物の積み下ろしに使ったと思われる重機の一部が置かれていた。

     

     

     

     

    謎の石積みオブジェ

    コンクリートにツタが絡まる

     

    トラス橋の右奥には、糸巻のような形をしたコンクリートの謎のオブジェがある。

    縦長の窓のようなものがあり、中をのぞいてみた。

     

    内部の上方向を撮影

      

    下方向を撮影

     

    見ての通り、内部は空洞で何もない。中空のコンクリートのかたまりだ。だが、裏側に回り込んでみると、がぜん雰囲気が変わる(次の写真)。

     

     

    石積みの台座とコンクリートの二層構造のオブジェは、小さな塔のようにも見え、独特の雰囲気を醸し出している。

    いったいこれは何なのだろうか。

     

    次回に続く

  • 【佐渡の土木旅#0】日帰り計画難航 滞在は6時間半【世界遺産】

     

     

     

    きっかけは忘れてしまったけど、仲良しの編集さんと2人で佐渡島に行こう!ということになった。佐渡には魅力的な古い土木遺構が多くあり、2024年には「金を中心とする佐渡鉱山の遺産群」として世界遺産に登録される予定だ。世界遺産登録後の喧騒であわただしくなる前に、出かけようということになったのだ。

    予定は日帰り。それを聞いた同世代の友人が「佐渡って日帰りでいけるところだったのか?!」と驚いていたけど、もちろん行くことは可能。ただし、滞在時間が限られるので事前に綿密に計画を立てなければならない。

    計画を練り始めてから驚いたこと。佐渡がものすごく大きな島だったということだ。 

    島は予想より大きく、滞在時間は予想より短い

    佐渡島はねじれた蝶番(ちょうつがい)のような特徴的な形をしている。先端が尖った形をしている場所が好きな私には、たまらない形の島である。できれば海岸線近くをぐるりと一周して島を巡りたいと思っていた。

    ところが、Google先生に島一周のルートを計算してもらうと、その距離は約203km、渋滞なしのノンストップ運転で4時間50分かかると出た。

    佐渡島は(思ってたより)ずっと大きかった。現実的には、島の北半分または南半分どちらかに行く場所を絞って訪問地を考えなければならない。

    さらにもう一つ問題が発覚。佐渡島へは、佐渡汽船のジェットフォイル(新潟港⇔両津港)を利用すると約1時間で行くことができる。ところが佐渡島からの最終便、8月は17:55だったのに10月になると16:25になってしまうことがわかった。

     

     

    佐渡島に到着するのが10:50頃なので、移動時間を含めて島にいられる時間は、たったの5時間半しかない!

     

    行きのルート(黄矢印)と帰りのルート(緑矢印)

     

    結局、あーだこーだと検討した末に、帰りは小木港から出る17:20発のカーフェリーに乗船することにした。これで滞在時間は1時間のびて6時間半だ。

    直江津港までは2時間半かかる。自宅に帰るのは夜中になるけど、まあ仕方ないな。

     

    新潟港へは路線バスで

    バスターミナル。3番のバスに乗る

    ジェットフォイルが出航するのは新潟港。港へは新潟駅から出ているバスで行くことができる。

     

    バスターミナルの屋根を支える骨組みにリベットがみられる。かなりの年代物だ

     

    佐渡汽船ターミナルまでは乗車時間15分ぐらい。新潟駅に到着したのは8:10で、ジェットフォイルの出航が9:40なので、余裕をもって行動できる。

     

    想定外の船酔い

    佐渡汽船ターミナル3Fの内部

     

    バス停「佐渡汽船」で下車すると、目の前に佐渡汽船ターミナルのビルがある。チケット売り場や待合室、売店などが3Fにある。上の画像に、カーフェリー船内は売店がない・・というのぼりがあるが、これを見落としたのをあとあと後悔することに。いや、見たとしても「軽食コーナー」っていうのが罠だったんだよ。まあその話はまた後々に。

     

     

    売店はかなり充実していた。土地ならではの商品開発に力を入れていて、その商品がずらっと並んでいる印象。荷物になっても、ここでお土産を買っておけばよかったなと、あとで少し後悔した。

     

    ジェットフォイルは2階席。見晴らしもよく、海も凪いでいる状態で気持ちよく出航。

     

     

    最初は楽しく2人でおしゃべりしていたんだけど、どのくらいかな20分ぐらいすぎたあたりから、何かがおかしいと感じ始めた。

    なんだかとても気持ち悪いのだ。

    まさか高速艇で乗り物酔いしてしまうとは思いもよらず。油断してたから乗り物酔いの薬も持ってきてない。時計をみると、まだ到着まで40分もある。

    2人とも完全に押し黙り、ひたすら時間が過ぎるのを待つ。

    こんなにおだやかな波なのに、どうして酔ってしまうのだ!と後日ブーブー言ってたら、海の男である夫が「波にはうねりってものがあるから」と一言。

    うねりがどんなものか正直よくわからないけど、海をなめちゃいけないってことだな。

     

    おけさ灯台が近づくも

    ジェットフォイルが両津港に入港する直前に、両津港北防波堤灯台(通称:おけさ灯台)の近くを通るはずなので楽しみにしていた。予想外の船酔いで写真も撮れず動画をかろうじて撮っただけに。しかも距離がいまいち遠い。

     

    民謡佐渡おけさのイメージを模した灯台で、頭頂部にはおけさ笠、両脇には浴衣の袖をイメージしたデザインとなっている。私が撮影した動画ではよくわからないので、海上保安庁の公式動画をぜひご覧ください。

     

    さて、なんとか佐渡島に上陸!

    次回は、今回の一番の目的でもある、西洋の遺跡のような旧大間港の様子をリポートします。